大地と人々に感謝(5)* 昨日、猪原氏より、私が記入した「普賢大変、熊本迷惑」というフレーズが間違っているとのご連絡をいただきました。正しくは「島原大変、肥後迷惑」という言葉だそうです。ちゃんとメモを取っていないために、このようなミスをしてしまいましたこと、ごめんなさい。 猪原さん、ご連絡、ありがとうございました。 今回のわたしたちが行った島原、水の浄化実践活動は、島原半島全体ひいては日本、地球全体を視野に入れた蘇生を真剣に志向している地に足をつけた地元の皆様のたゆまぬ活動の上に成立しています。 現地でお目にかかり、言葉を交わさせていただいた多くの皆様、ひとりひとりがそれぞれの生活上の立場を守りながら、個を超え立場を超えて全体調和の活動を実践し続けていらっしゃることが、日を追うごとに心に染み込んでまいりました。 お目にかかったすべての人をご紹介できませんが、島原に暮らす剛毅なサムライ集団の存在に心から感謝いたします。 政治・経済・教育・文化・宗教・医療・・・・あらゆるジャンルに蘇生の風を巻き起こしていらっしゃるみなさまのエネルギーに触れることができ、新しい地球創造はダイナミックに進んでいることを確信させてもいただきました。 ありがとうございます。 茶房&ギャラリー速魚川が、志士たちの拠点でもあり、毎日多くの人たちが参集されています。 明治創業の猪原金物店を守りながら、島原の全体を把握され、活動されている猪原ご夫妻に心からの感謝しています。 日本建築の粋の中でいただくコーヒーやカレーライス、寒ざらし白玉など・・・・どれもがとても美味しく、島原に行かれることがありましたら、ぜひお立ち寄りくださいませ。 島原駅から徒歩2~3分の武家屋敷通りにあります。 この一角に、イノチ溢れる速魚川があり、豊富に流れ続ける清涼な水をどうぞ味わってみてくださいませ。 そして、失われつつある日の本の心が今なお健在なこの地の人たちと触れ合ってみてくださいませ。 昨日の日記に書きました内容について猪原氏からコメントが入りましたので、以下にご紹介いたします。 『3月22日に送付されていたX氏からのBEPミューア埋設予定ポイントの地図を、現地(島原)の詳細な地図と照合して驚きました。 すべてが地元でも有名な湧水ポイントをピンポイントで表していました。 これは、地元に長年住んでいる人間にしか絶対にわからない場所です。 3月25日に来島されたX氏ご本人と初めてお会いし、「島原は本当に初めて来られたのですか?」と聞いてしまいました。 その後、BEPミューア埋設実行日(26~28日)は、予告どおりの不思議な出来事が起こりました。 初日の26日にX氏とTA~KO氏のお二人を「焼山」という210年前の噴火時の溶岩でできた山からの湧水ポイントにお連れし、埋設しようとしたら本当に上空にカラスが飛来し「カーカー」と鳴いたのです(!?)。 X氏から「前日の熊本の金峰山では、BEPミューアを埋設する時は決まって上空にカラスが現れて鳴きました。 見ていてください。」と言われ、現実に島原でもそうなった訳ですから立ち会った人間は鳥肌が立ちますよ。』 3月27日 今日島原入りをされる横笛奏者KAONさんのお父様は伝統工芸師(江戸木彫刻師)だそうで、江ノ島洞窟前にある柱に龍神を彫られた方のようで、五頭龍(ごずりゅう)伝説に沿っての依頼だったそうです。 詳しいことは、まだ書けませんが、今回の島原浄化に関わってくださる皆様が、地球創生及び日本建国に関わっていらっしゃったルーツを持つ魂さんたちのように受け止めています。 今日はいよいよ普賢岳・妙見岳・国見岳へのアプローチとなり、足腰の弱いわたしたちの代わってBEP埋設を引き受けてくださっている地元の消防署に勤務する青年O氏(普賢岳を知り尽くしていらっしゃるとのこと)とお目にかかりました。 まだ幼さの残る初々しい顔立ちの青年で、猪原さんから事前に今回の役目や意味、埋設に伴って発生する自然現象の可能性などについて聞き及んでいらっしゃるようでしたが、念のために再度自然現象について、経験上知ってきたことを一通りお伝えしておきました。 すべてはつながっており、ひとつの大いなるイノチの意思が現れてくるという事実を~ そのO氏から、「埋設ポイントに入っていないけれど、気になるところがあります。岩戸神社に、僕が感じる最も清涼な水源があるのです。」とのお話をいただき、感謝してわたしたちの今日の予定に加えることとし、それぞれの目的地に向かいます。 岩戸神社の荘厳な雰囲気に圧倒されました。 洞穴に鎮座する社から伝わってくる神聖なエネルギーもさることながら、その右手前面に切り立った崖があり、その頂きから美しい水が落下しており、その落下位置に水溜りができています。 場所の名前は忘れてしまいましたが、世界の名勝として聳え立つ断崖から垂直に落ちてくる滝水が、落差が大きいために水は落下途中で蒸発していく場所があります。 まるで、その場に立ったかのような気持ちになり、しばらくその垂直に落下してくるイノチの水から視線を外すことができません。 こうした地形を創造してくれたソラの意識体さんたちに感謝の祈りを捧げます。 この地を訪れたわたしたちKAONさんを加えた3人は、それぞれの仕事に入ります。 KAONさんは笛を奏で、X氏は埋設を、わたしは祈りを・・・・・ あまりに心地よくて時の経過を忘れてしまいます。 KAONさんが生み出してくださる笛の音で、わたしの脳は変容し、頭頂と天がつながっていきます。 その間、細くやさしい慈雨の中~ 屋久島の森と共振し、沖縄本島の斎場御嶽が現れてきます。 水の浄化に訪れて、わたしたちが浄化されていく時空が広がっていきました。 Oさん、すばらしい場所を教えていただいて、ありがとうございます。 その後、舞岳への埋設が終了し、岐路につくと間もなく雨は激しさを増し、雷鳴が轟き続けてきました。 昼食をとるために立ち寄ったペガサスというレストランに入ると、「雷鳴の凄さに犬が怯えてちじこまっていたのですよ~」と店の人から教えられました。 初めてのBEP埋設をお願いしたO氏の状況が感じられ(普賢岳への埋設は、わたしたちが受けたものより激しいだろうことが予測できますから・・・)気にはなりましたが、天を信じ、彼を信じて待つしかありません。 この時、島原市内にも、この影響は起きており、一瞬だったそうですが、停電したとか・・・・ 又、鹿児島では、初の竜巻注意報が流され、直径1,3cmの雹が落ちてきたとも・・・・・ でも、これらは一時的なもので、すぐに嘘のような快晴が広がっていきます。 影響が大きい理由が感じられます。 猪原氏からお聞きしていた普賢岳の意味・・・・・・ 10世紀前後のヨーロッパの霊能者が描いた日本地図が図書館にあるそうですが、その地図には、富士山と普賢岳の二つが日本に描かれていたそうです。 富士山と普賢岳・・・・ 二つで一つ・・・・ 陰陽の山・・・・・ 普賢岳は陽の富士山を守るために陰の機能を持っているらしく、富士山を守るために大地に滞留したネガティブ・エネルギーを排出する役割を持っているそうです。 そのことを知った猪原氏のご先祖は、1本の青龍の掛け軸を持ち、家族と別れ、岡山から島原へ・・・・・ 普賢岳鎮護という役割を果たすために・・・・ 当時、普賢岳の周囲には1000以上の修験者の宿坊があり、普賢岳の噴火活動を鎮護していたのだとか・・・・・ ところが、キリシタンに改宗した時の大名によって、宿坊のすべては焼き払われ、幕府は威信を守るためにも厳しい禁制を敷くしかなく、その流れから凄惨な島原の乱につながっていったのだそうです。 この辺のことは、もしかしたら現地の方たちが詳しく調査されていますので、バチカンからも見捨てられ、歴史からも見捨てられていった3万人を超える死者の鎮魂のお話が伺えるかもしれません。 普賢岳が抱え込んでいる役割の大きさに、わたしたちができる事は、ただゼロ意識で祈ること・・・・・ 宇宙は意識で構成されていますので、きっと大地や人の脳に染み込んでいるネガティブな偽の記憶は解除され、本当の歴史が明るみに表われる日がやってくると感じています。 地球及びヒトの本質が顕われる時、「共存・共生・助け合い・分かち合い」の宇宙法のままに暮らしていける新生地球が誕生していくのではないでしょうか? わたしはそう感じています。 ここで、再度猪原氏から届けられたコメントをご紹介します。 『翌日の27日は、いよいよ「普賢岳」のBEPミューア埋設でした。 地元の消防署職員・O氏が以前からその任務を受けてくれていました。 そこで何が起こったか? またも予告どおりの事が起きました。 小生はTA-KO氏から聞いていた事をO氏にそのまま伝えておきました。 それは「普賢岳にミューアを埋設する際は、極端な気象変化や地殻変動が起こる可能性が高いから注意してかかってください」というものでした。 そして、O氏が普賢岳に近い雲仙の仁田峠に車で着いた時から小雨が降り出し、登山を始めるとそっくりそのまま暴風雨が起こり落雷や雹(ひょう)が降ってきて、予告を聞いていなかったら心の準備がなくパニックを起こしただろうということでした。 O氏はアウトドアのプロです。 おまけに消防署職員なので一般人と異なり災害や事故の訓練は常にしている人ですが、埋設地点である普賢岳頂上の状況は想像を絶する異常な強風、暴雨、雹、落雷とこの世のものとは思えなかったと言います。 「友人のS氏が雨で偶然に仕事ができなくなり同行してくれたので助かりました。単独では不可能でした。」と翌日語ってくれました。 普賢岳頂上に命懸けでミューアを埋設し、仁田峠まで下山したら嘘のように青空に変わり二人とも驚いたそうです。 その後、もう一箇所の予定地である雲仙の貯水池に向かおうとしたら異常な濃霧で車のヘッドライトとフォグランプを点けても数メートルしか視界が確保できなかったそうです。 これも初めての体験だったそうです。 これらすべて事はわずか3時間の出来事だったそうです。 普賢岳を中心にした島原半島は歴史的に異常なほど人が亡くなった因縁深い土地です。 370年前の「島原の乱」では3万数千人のキリシタンや幕府軍の人命が、210年前の噴火災害「島原大変」の大地震で1万人の人命が露と消えました。 日本人の人口がまだ三千万人だった時代にです。 国内にあるいは世界にこんな場所があるでしょうか? これは「普賢岳」が昔から国内を代表する霊山と言われてきた事に理由があると思います。 普賢岳に関してはもっと不思議な事を知っていますが、ここでは書けません。 普賢岳頂上へのBEPミューア埋設時は予告通りに急激な天候の変化と落雷が続き、島原市内にいた小生は登山しているO氏やS氏の事が心配になっていました。 高城氏から携帯電話で「先ほどの一瞬の停電で、病院内の数名の患者が使っている生命維持装置を職員に点検させています。 初めての事です。 やっぱり言ってた事が起こったね。」と言われました。 夕方にX氏とTAーKO氏と横笛奏者K氏の三名が、別箇所のミューア埋設を終え当店に到着された時には、すでに先ほどの嵐が嘘のように晴れ渡っていました。 TA-KO氏に「普賢岳の二人は大丈夫でしょうか?」と訊ねると、「埋設に成功したからこのように晴れたんです。 二人はもちろん大丈夫ですよ。」と笑って答えられました。 翌日、その事実をO氏本人から聞く事になったのですが・・・・』 つづく・・・・・・ 島原の大地と人々に感謝(6) |